令和5年11月11日、青森市幸畑地区にある八甲田山雪中行軍遭難資料館周辺及び幸畑墓苑の清掃奉仕活動を行った。当日は、雪の舞う寒い中、当支部に加え、青森駐屯地修親会及び同曹友会を合わせて105名の3会の協同により、墓苑及び散策路周辺の落葉拾いや側溝の泥上げ等をおこなった。清掃終了後には、先人達の御霊に黙とうを捧げるとともに、献花をおこない当時に思いを馳せた。 幸畑墓苑には、青森市の指定史跡天然記念物に指定されている幸畑旧陸軍墓地、雪中行軍関連石碑、慰霊碑等が佇み、これから冬を迎える。
令和5年10月6日海自八戸航空基地から第2航空群(群司令 海将補 石川一郎)を基幹として、ソマリア沖アデン湾に派遣される第53次海賊対処行動航空隊(司令 2等海佐 斎藤啓一郎)出国行事が行われた。これに先立ち10月4日、第2航空群司令立会のもと派遣航空隊司令に小笠原支部長が任務の完遂と無事の帰国を願い隊友会からの激励品を贈呈した。
中弘支部は令和5年7月23日、「弘前忠霊塔を守る会」の発会式に支部会員15名が参加し、「守る会」の発会に寄与した。 弘前忠霊塔は、昭和14年弘前市原ケ平にあった旧軍第八師団の「陸軍墓地」を、国の重要文化財である長勝寺(津軽藩の菩提寺)の北側に移設、昭和16年大東亜戦争の開戦と共に「合葬墓」として忠霊塔建設が起工、昭和20年の終戦の年に完成した。しかしその後、78年間の経過と昭和58年日本海中部地震等の影響を受け、骨壺の散乱や慰霊も出来ない状況が永年続いていた。中弘支部は、16年前(平成21年)から忠霊塔周辺の清掃奉仕作業に従事してきたが、その際、骨壺等のずさんな管理の状況を確認し、長勝寺の住職の要請もあり、「守る会」の設立に寄与する事とした。「守る会」の役員は20名で、三上支部長がその会の事務局長として中心的役割を果たすとともに、支部会員有志が役員として積極的に活動し、塔内の整備と恒久的な維持管理のため貢献している。終戦後GHQから全国の忠魂碑・忠霊塔の破壊命令を受けたが弘前忠霊塔は、お釈迦様の分骨(仏舎利)を合祀する仏舎利塔として難を免れた。当地は、慰霊の場であり弘前市の観光地でもある。今後とも「守る会」に協力し、日本の礎となった英霊に対し、哀悼の誠を捧げるよう活動している。
支部は、令和6年2月21日(水)五所川原市で実施された西北地域入隊予定者激励会に会員4名で参加し、今春、自衛官としてスタートする13名の若人を激励した。